甥っ子に自分の若い頃の姿を見る

重苦しい内容でしかない最初のブログを読んでいただいた方

本当にありがとうございます。心から感謝しています。

 

実は、あの文章を書いて公開し皆様に読んでいただいたことによって

幾分気持ちが軽くなったところがあります。

自分の状況、考えを書き出すことでこういうことが起こるとは。

これは予想外の効果でした。我ながら驚きです。

今後は、せっかく公開することにしたので極力重苦しい文章にせず

きちんとひとつの読み物として成立するよう心がけようと思いました。

とはいえ、基本のテーマが重いのと、文章が長くなりがちなのは

性分なのでどうにもならないですけどね。

 

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先日、今年高2になった甥っ子ちゃんが我が家に遊びに来ました。

うちの弟の子供なのですが、10年ほど前に離婚したので

今は元嫁の実家に預けられていて、秋田県で暮らしています。

離婚したにも関わらず元嫁サイドがものすごく好意的で

孫のいなくなった我が家のジジババを気遣って

定期的に甥っ子を遊びに来させてくれているわけです。

一生孫の顔を見せてあげられない私としては本当に有難い限りです。

 

そんな甥っ子ちゃんは我が家のDNAを色濃く受け継いでいるようで

(うちの弟の血を継いでいるので当たり前なのですが)

でも、何故かうちの弟というよりは私に似てきている感じでして。

気づけば鉄道オタクに、そして中学以降部活は吹奏楽部に。

(うちの弟は鉄道にはまったくの無関心、部活は帰宅部

最初に聞いた時に思わず「なんで???」と言ってしまってから

早4年が経過。来年はもう高3、大学受験を控えています。

 

中学まではたいして勉強しなくてもそこそこ成績がよかったらしく

住んでいる地域では一番の進学校に合格して通っています。

部活もコンクールで県大会を勝ち抜けるような割と強い高校なので

部活に勉強にさぞかし忙しい生活を送っているのだろうと思いきや

どうやら相変わらず勉強はしておらず、成績は悪いとのこと・・・

今回札幌に来るにあたって元嫁サイドから、言うことを聞かないので

なんとか勉強するよう上手く仕向けて欲しい、との懇願を受け

さてどうしたものかと思いつつ受け入れた次第です。

 

で、実際迎えて話を聞いてみたところ・・・

「志望校は決まったの?」

「いや、まだ・・・」

「将来なりたい職業とか勉強したいことはあるの?」

「いや、それもまだよくわからない・・・」

このやり取りで、ふと思ってしまったことがありました。

 

『ちょっと待て、これは俺とまるっきり同じじゃん・・・』

 

ここから私の高校時代の話になりますが、かれこれ30年前の話です。

(直接関係はありませんが、4月から始まった朝の連ドラ「半分、青い」の

主人公がほぼ同世代、厳密に言うと私はそのひとつ下の学年になります)

時代は違えど私も甥っ子同様、中学まではたいして苦労もせずに

周りに言われるがまま特段何の目的もなく進学校へ進みましたが

これまた同様に進学後も相変わらず勉強はしなかったため当然成績は下位で低迷。

なんとなく雰囲気で志望校だけは決めていたので最初の面談でそれを話すと

「今の成績じゃ無理だね」と当然のようにあっさり一刀両断。

そして、将来のビジョンなどはまるっきり考えていませんでした。

 

小学生の頃に、友人の物真似で「漫画家になりたい」なんて思っていたことが

あるような気がしますが、そもそも画才などあるわけもなく。

部活で楽器はやっていましたが、音大に進む気なんてさらさらなく。

なんとなく、大学には行ってみたいという気持ちだけはあるけれど

それ以上のことはまったくのノープラン。

 

ところが、周りの同級生達を見てみると

医者志望や弁護士志望、はたまた東大、京大、早稲田、慶応・・・

志望校や将来なりたい職業が既にしっかり決まっている人の多いこと!

目標がある人達は当然ながら目標に向かって日々努力しています。

それにひきかえ、目標のない私は毎日好きなこと(部活)だけのために学校へ行き

中学までの延長線上をのんべんだらりと生活していました。

 

今振り返って思うと、周りの意識の高い同級生達に対して何とも表現し難い

コンプレックスみたいなものを持っていたじゃないかと思います。

目標や主義主張をはっきり持って未来を目指す人達がたくさんいる中

そういうものを見つけられずにただダラダラと毎日を過ごす自分。

成績の悪い私を見下すような態度を取られたりすることもあったと思うのですが

今になって考えれば劣等生の私が勝手にそう受け取っていただけかもしれません。

部活も個性と我が強い人が多く、意見も譲り合わないためなかなか纏まらず

反りが合わないと言って途中で辞める人も続出し、皆で楽器を吹くという

本質的な楽しみすらあまり見出せない感じでした。

そんなこともあり、高校時代に友人と呼べる人はほとんど居ませんでした。

私の高校時代は黒歴史となったのです。

 

甥っ子の話を聞いている限りでは、幸い今のところ彼は学校も部活も

楽しいと言っているので、私のような卑屈な感情は持っていない様子なのですが

周りと違う自分に若干のコンプレックス的な何かは感じているのかもしれない、と

それがわかっていてもやらない、できない、親の言うことも聞かず逆に見下す

というあたりから勝手に想像してしまいました。

変なところは似て欲しくない、このまま楽しい高校生活を過ごして欲しいと思いながら

黒歴史にならないようできる限りのアドバイスを送って、秋田へ帰しました。

 

そんな出来事もあり、自分の黒歴史を嫌でも思い出す結果となったのですが

改めて思ったのが、そもそも自分には若い頃から夢も希望も何もなかったんだ、ということ。

なんとなく成長し、なんとなく大人になり、なんとなく歳を重ねて今に至った、と。

唯一、趣味として楽器を続けていくことが生き甲斐かな、と思っていましたが

その意欲もなくなってしまった今、何を拠り所に生きていけばいいのかわかりません。

 

いい歳して人生の迷子になるなんて、情けないにも程がありますな。